が閉幕した。
「選手は良く頑張った!」とか「パラリンピックを発展させよう!」のようなありふれた事を書いてもいいのだろうが、coinらしいことを。
俺は、パラリンピックの開催そのものに反対だ。
「障害者のオリンピック」と言う位置づけが嫌いだから。
coinが北京オリンピックで一番記憶に残ることと言われれば、南アフリカのナタリー・デュトワ選手。
北京からの新種目である「オープンウォータースイミング」に出場した選手。
24選手中16位だが、世界のトップ選手の集まる大会で16位は立派だ。
ナタリー選手は、左足が無い。
障害者が健常者の最高峰の大会に参加し16位。
元々水泳選手だったが、足をほとんど使わない遠泳競技が採用される事になり、オリンピック出場を目指したのだそうだ。
パラリンピックに話しを戻す。
coinはパラリンピックを無くし、健常者のオリンピックと統合すべきだと思っている。
オリンピックの今までの種目の他に、同じ種目に健常者も障害者も参加でき、尚且つ健常者も障害者も金メダルを取れるような、ルールや新しい競技を作って。
大会規模なんかの、別ベクトルの問題もあるけれど。
健常者も車椅子に乗って参加できたり、遠泳のような障害の部分によっては影響の出にくい競技を作ったり取り入れたり。サッカー競技は基本的に手を使わないのだし、ボート競技は走る必要が無い。
もちろん障害には様々な種類があるし、重度も様々。
サッカーは手を使えないと言っても、手はバランスを取ったり相手と接触するときは重要だし、同じ足が動かないと言っても、膝から下が動かないのと腰から下が動かないのでは、運動能力に雲泥の差がある。
その辺も、ルールであったり、若しくは体の動きを抑制するような道具を身につけるなどできないのだろうか。
競泳で話題となったレーザー・レーサー。
スポーツには様々な道具を用いる。陸上競技のような、ただ走るような競技であっても、現代の競技はスパイクやシューズが非常に重要だ。
ここまで道具が切り離せないものになったのであれば、逆に動きを抑制する道具を身につける競技を行っても良いと思う。
それに、アイマスクをした視覚障害者とアイマスクをした健常者であれば、障害者のほうが聴覚などの器官は圧倒的に優れているわけだし。
もちろん、こんなのは理想論以外の何物でもない。
しかし今のパラリンピックは、どこまで行っても「障害者のスポーツ」で終わってしまうと思う。
メディアが海外はパラリンピックの注目度が高いと言ったりするが、どこからどう見てもオリンピックの注目度が圧倒的なのは覆らない。
限られた人達が行う、限られたスポーツの大会。
最高峰と言っても、最高峰ではないスポーツの大会。
どんなキレイ事を言ったとしても、やっぱりこういう見方は消えないと思うし、消えなければ障害者のスポーツの注目度が格段に上がることは無いと思う。
健常者も障害者も、同じ土俵に立てる競技を。
coinの理想です。
と言うことで、みんなMTGをやりましょう。
ちなみにスペシャルオリンピックスに関しては、選手の問題ではなく、運営組織の理念からスポーツだと思っていないのでどうでも良い。タダのレクリエーション。勝手にやってて下さい。
何年か前に、スペシャルオリンピックス日本の人がラジオに出演し色々な話しをしていたのだが、その内容には非常に腹が立った。しかも「オリンピックは世界的に注目されているのに~」などと言いながら。
俺には、その人達が先頭に立って差別しているようにしか思えない。知的障害者は『競技』をしてはいけないのだろうか。
「選手は良く頑張った!」とか「パラリンピックを発展させよう!」のようなありふれた事を書いてもいいのだろうが、coinらしいことを。
俺は、パラリンピックの開催そのものに反対だ。
「障害者のオリンピック」と言う位置づけが嫌いだから。
coinが北京オリンピックで一番記憶に残ることと言われれば、南アフリカのナタリー・デュトワ選手。
北京からの新種目である「オープンウォータースイミング」に出場した選手。
24選手中16位だが、世界のトップ選手の集まる大会で16位は立派だ。
ナタリー選手は、左足が無い。
障害者が健常者の最高峰の大会に参加し16位。
元々水泳選手だったが、足をほとんど使わない遠泳競技が採用される事になり、オリンピック出場を目指したのだそうだ。
パラリンピックに話しを戻す。
coinはパラリンピックを無くし、健常者のオリンピックと統合すべきだと思っている。
オリンピックの今までの種目の他に、同じ種目に健常者も障害者も参加でき、尚且つ健常者も障害者も金メダルを取れるような、ルールや新しい競技を作って。
大会規模なんかの、別ベクトルの問題もあるけれど。
健常者も車椅子に乗って参加できたり、遠泳のような障害の部分によっては影響の出にくい競技を作ったり取り入れたり。サッカー競技は基本的に手を使わないのだし、ボート競技は走る必要が無い。
もちろん障害には様々な種類があるし、重度も様々。
サッカーは手を使えないと言っても、手はバランスを取ったり相手と接触するときは重要だし、同じ足が動かないと言っても、膝から下が動かないのと腰から下が動かないのでは、運動能力に雲泥の差がある。
その辺も、ルールであったり、若しくは体の動きを抑制するような道具を身につけるなどできないのだろうか。
競泳で話題となったレーザー・レーサー。
スポーツには様々な道具を用いる。陸上競技のような、ただ走るような競技であっても、現代の競技はスパイクやシューズが非常に重要だ。
ここまで道具が切り離せないものになったのであれば、逆に動きを抑制する道具を身につける競技を行っても良いと思う。
それに、アイマスクをした視覚障害者とアイマスクをした健常者であれば、障害者のほうが聴覚などの器官は圧倒的に優れているわけだし。
もちろん、こんなのは理想論以外の何物でもない。
しかし今のパラリンピックは、どこまで行っても「障害者のスポーツ」で終わってしまうと思う。
メディアが海外はパラリンピックの注目度が高いと言ったりするが、どこからどう見てもオリンピックの注目度が圧倒的なのは覆らない。
限られた人達が行う、限られたスポーツの大会。
最高峰と言っても、最高峰ではないスポーツの大会。
どんなキレイ事を言ったとしても、やっぱりこういう見方は消えないと思うし、消えなければ障害者のスポーツの注目度が格段に上がることは無いと思う。
健常者も障害者も、同じ土俵に立てる競技を。
coinの理想です。
と言うことで、みんなMTGをやりましょう。
ちなみにスペシャルオリンピックスに関しては、選手の問題ではなく、運営組織の理念からスポーツだと思っていないのでどうでも良い。タダのレクリエーション。勝手にやってて下さい。
何年か前に、スペシャルオリンピックス日本の人がラジオに出演し色々な話しをしていたのだが、その内容には非常に腹が立った。しかも「オリンピックは世界的に注目されているのに~」などと言いながら。
俺には、その人達が先頭に立って差別しているようにしか思えない。知的障害者は『競技』をしてはいけないのだろうか。
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