この日記を読んだ人は、自分の意見と違ったり不快に思っても、深く考えずに田舎者の戯言として流してください。それなら書くな、って気もするけど。





coinもA案である。
脳細胞を復活させるような黒魔術でも存在しない限り、脳死は死だ。



現行法や今回のA~D案もそうなのだが、日本の臓器移植法は、法律的に見れば悪い法律だが、人情的には良い法律である。

それは「家族の同意」と言う一文である。

脳死判定されようと何をしようと、「家族の同意」が無ければ臓器提供はできない。
「家族の同意」という不正確な一文をいれ、法律的には欠点ではあるものの、脳死判定なら勝手に臓器を取られるなんてことはない。

もちろん、「提供したくなくないのに、提供しろと言う圧力をかけられそうだ」のような問題はあるだろうし、その辺のドナー家族側に関する議論が少ないのは事実だろう。実際、心に大きな傷を受けたドナー家族も多いそうだ。
しかし、日本の臓器移植法のような人情的な移植法は他には無いはずだ。

それに、脳死で提供可能な臓器はたくさんあるものの、心臓死で提供できる臓器は腎臓や角膜などの限られた部分しかないからね。





ここからは、誤解を招くような表現が増えます。





魂なんてものは、存在しない。
脳が死んだ瞬間に、人間としての行動が全て消滅する。
俺は、それを人間とは思わない。


女性を産む機械と発言した政治家がいたが、人間と機械は根本的な部分では同じだ。

脳は非常に複雑で、今の科学でもほとんど解明されていないと言って良い。
しかし、だ。

脳梁を切断してしまえば、目で見たものを認識しているのに、口で言えなくなる。これは、昔の癲癇治療で確認できる。
大脳の一部である前頭葉が死んでしまえば、一切感情のコントロールのできない人間になる。これは、事故により前頭葉を負傷した事例であったり、老化により前頭葉が小さくなった老人等で確認できる。うちのじいちゃんも、色々と大変です。

大脳が死んでしまえば、何の感情も無い植物人間になる。
脳幹が死んでしまえば、生命すら維持ができなくなり、いずれ大脳も死ぬ。
イギリスでは脳幹死を脳死と定義しているが、日本を含めた大抵の国は大脳と脳幹の両方の死である全脳死を脳死と定義している。

脳は非常に複雑であるが、人間は機械のように脳からの命令により特定の行動が生まれていることは明らかだ。
人の意識であったり人間性などは、脳から生まれているものであり、目に見えない何かが影響を与えるということは無い。

まぁ、脳が複雑すぎて所謂人間性というものがどのように生まれるのかが、全くわかっていないのも事実だけれども。



哲学的ゾンビに関しては、書かない。



人の死は、死んだ瞬間に死んだ本人は関係なくなる。

人の死は、死んだ本人の問題ではなく、周りの人間の問題である。
死んだ瞬間に、死んだ本人の問題から、死んだ人の家族・周り人間の問題に変わる。
死んだ本人の意識は、消滅するのだから。


例えば、葬式は死んだ人の為にやるのではない。
「死んだ人の為にやっているんだ、死んだ人も喜んでくれているだろう、これで魂が天国に行ってくれるだろう」という、言葉は悪いが、生きている人の心を癒す為の行為である。
死んだ人間が「喜ぶ」ということは無いのだから。

臓器提供の本人の意思確認であったり、遺言のようなものも、死んだ本人の為のものではない。死んだ人の意見がそうだったから、という生きている人の負担を減らすため。

魂なんてのも、生きている人の為のモノである。死んだ人が見守ってくれてる、だったり、生きている時にたくさん良い事をすれば死んでも天国にいける、のような。



ブログではタブーとなる宗教に繋がる。

宗教を否定するつもりは全く無い。

カルト集団や戦争や自爆テロ等は宗教問題と言っても全く別の問題であり、キリスト教や仏教やイスラム教などを始めとした宗教が、多くの人の生きる力になっているのも事実なのだから。それこそ、感情があるからこそ生まれる死に対する恐怖などに、打ち勝つ手助けになってくれている場合も多い。
神や魂のような目に見えないものから、それを偶像にしたものまで、多くの人を救っている。

宗教と言っても大げさなものだけでなく、魂が無いとわかっていてもcoinは大好きだったばあちゃんのお墓参りに行くし、ご飯食べる時に「いただきます」と言う。これも宗教。


人の心、宗教等は非常に微妙な問題だ。
詳しくは書かないが、例えば、神を信じている人に神がいない事を信じさせることは、よほどのことが無い限り不可能だ。人が人であるための、その人の人間性を作り出しているノモが宗教という人はかなり多い。

そこに、神や魂なんてモノは無い、なんて言う真逆の価値観が広まってしまえば、臓器移植で助かる以上の人が死ぬかもしれない。

「いただきます」は宗教と言ったが、世界中で起こっている戦争の大きな理由の一つになっているのも宗教。身近なところから、世界を動かす非常に大きなエネルギーともなり得る。

人間の心というものは、非常に難しい。



脳死問題は、この辺が難しい。

正論が良いとも言えないから。そして、正論だとわかっても納得できるかどうかも別問題だから。
人間ほど感情が発達し、感情が重要な動物は存在しないから。

脳死状態の子供を見守っている親に対して、「魂なんて無いんだよ。自己満足の為だけに、助かる命を見捨てるのか?」なんて言ったら、その親が自殺するかもしれない。自殺しなかったとしても、ただでさえ大きな衝撃を受けているのに、それ以上の立ち直れないほどの衝撃を受けるかもしれない。

しかし、脳が死んでしまえば人間としてのモノは全て失われているわけで、その人の臓器で助かる人が大勢いることも事実なのだ。





coinはA案だが、「家族の同意」と言う文章が上手く利用され、一人でも多くの人に幸せと言う脳の作り出す感情が訪れて欲しいものである。

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