無差別事件に関して、ちょっと危ない事も書いてるので、不快に感じるかもと思う人は戻って下さい。






























以前、秋葉原の事件の時にも少しだけ触れたが、きちんと記載。
~語りベの立場から云わせて頂ければ、80年代から急増し始めた無差別大量殺人、いわゆる「スプリー・キラー」はつまらない。あらすじがいつも同じだからだ。ワンパターンなのだ。
 大量殺人者の多くは、己れを「ひとかどの人物」だと信じている。しかし、その実際はちっぽけなゴミなのだ。そのギャップに彼は苦しみ、己れを認めない世間に毒づき、思い知らせてやろうと牙を剥くのだ。それは復讐であり、売名でもある。多くの命と引き換えに彼は歴史に名を残し、己れが「ひとかどの人物」であることを証明するのだ。だから、彼らについて語ることはそれこそ思う壷なので、出来ることならやめるべきだ。しかし、彼らの惨めな生涯を晒しものにすることで追随者を抑止する効果もあるかと思う。

 これだけは云っておかなければならない。
 殺人者をアイドル視してはならない。彼らはいずれも正視に耐えないほどに惨めな落伍者なのだ。~


殺人博物館、マルク・レピンより

今回の事件は、死者は出なかった。死者は。

上記の意見は、テレビで良く見るコメンテーター(笑)なんかより、よっぽど核心を突いている。

以下は、上記のサイトの引用を中心に。
今回の犯人は「自分の人生を終わりにしたかった。」と言い、ネットでも「自分の人生を終わりにしたかったら自殺しろよ。」なんて意見もあるが、そうではないのだ。
今回の犯人と、上記のサイトにもある、21人殺して19人負傷させたジェイムス・ヒューバティや、23人殺して20人負傷させたジョージ・ヘナードなんかとの大きな違いといえば、銃を持っていたか包丁を持っていたかの違いだけだと感じるが、どうだろう?
小学生を狙ったパトリック・パーディーの項で宅間守にも触れているが、コメンテーター(笑)の見当外れの意見をいくら聞いたところで何も導き出せない。宅間の発言を聞いても、明後日の方向の感想しか持っていないのだし。

一番良いのは騒がないこと。
視聴率取れることは何でもするテレビなんかに、そんな事言っても無駄だけど。
そんなことをしても、世間は全く興味を持たないってことを理解させること。
いじめられた子供が、いじめた子供や救ってくれない大人に対して自殺するなんてことも同じ。

それと同時に、左巻きの糞が考えるような解決策と言う名の被害を増やす行為ではなく、事実を認めた上での解決策を考えること。犯罪の起こらない社会は狂った社会なんて考え方もあるんだし、理想論だけではなく。


ただcoinは、テロなんかもそうだが、不特定多数を狙った今回のような犯罪は、もっともっと刑罰を厳しくすべきだと思っている。たとえ死者が出なかったとしても。

coinの基本的な考えは、「人権人権と言う奴がいるが、人権の前に社会の秩序を保つ為のモノが法律だ」である。

コメント

黒蛇
黒蛇
2010年12月18日20:40

包丁持ってラッシュの混雑に乗りこんで殺意ありませんもねえもんだわな。

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