coinは叱らない親には絶対になりたくない。


外国の話を持ち出すってことは、大げさに言えば日本全体が嫌いということ。
子供への教育ってのは、つまりはそう言うこと。
その国の根幹にかかわること。

たまに話題に出てくる、罪の文化と恥の文化。外国に多いのが罪の文化で、日本は恥の文化。

厳密に言えば違うけれど、簡単に言えば行動に対する平均的なボーダーラインの違い。
恥の文化の方が、ボーダーラインが全然高い。

だからこそ、犯罪の少なさ等にも繋がっていると考える。
恥の文化だったとしても、犯罪は起こる。全員違う人なんだから、良い人悪い人の振り幅があるのは当たり前。
けれども、罪の文化の方が平均的なボーダーラインが低いとするならば、自然と悪い人の割合が多いのは当然の話し。

大震災直後の日本人の行動にしてもそう。
もちろん、日本人でも窃盗した人はいた。しかし、海外の大災害時のような暴動状態になるなんて事は無かった。

やっぱりこれって文化の違い。
文化って色んな所で使われる言葉だけれども、とても奥が深い。
coinは海外の文化大好き。身近な所だと、邦楽よりも洋楽を聴く割合の方が多いし、車も外国の車。
だからと言って、全てが融合してしまったら、そのようなモノは生まれないはず。もちろん融合したから生まれた魅力的な文化はたくさんあるのだから他文化を取り入れることを全否定しているわけではないが、かと言って何でも取り入れれば言いというモノでは無いと思っている。
他文化を他文化の立場から楽しむ事も、とても楽しいことだから。

この前の子供を飛行機に乗せることなんかもそうだけど、当然の話だけれど、マクロに見れば子供の教育って人間形成、さらに言えば国の形成にかかわること。
お店の中で騒いでも叱らない。行動に対するボーダーラインを下げている。
もちろん、日本が別のモノになって欲しいのなら、そうするべき。
そうすると、日教組みたいな雲行きの怪しい話題にも繋がっていくけれど。


もちろん恥の文化の悪い部分はたくさんある。
でも、coinは罪の文化よりも恥の文化の方が好きです。

コメント

めしあ
2012年11月28日18:17

叱らない親にはなりたくないのは全く同意見

M
2012年11月28日23:01

ただ、最近多いのは事実ですね>ほったらかしの親

山田ヤッシー(偽名)
2012年11月29日21:12

ほったらかされすぎて知らない大人に対しても言葉遣いというか態度がすごく悪い子供を見たとき親の顔が見てみたいと思ったことがあったな

私の子供時代はいくらなんでもこんな態度の子供いなかったのになとか思ったな

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